《一文字村雨》行き詰まった時の対処方法、確立してますか?
物事に行き詰まりを感じた時のイライラや閉塞感。
誰しも一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
そんな時。
自分ではどうにもならず、もはや打つ手無しとなってしまって
誰かに相談するとしましょう。
そうしたら、それは乗り越えるべき壁だと言われたり、
あるいは、つまらないことに拘っているから前に進まないのだから、
早々に気持ちを切り替えるべきと言われるかもしれません。
結局どうすればいいの? と迷ってしまったら、もはや思考の堂々廻り。
行くに進めず、戻るも出来ずです。
詰んでしまった状況には陥りたくないものですね。
さて、この行き詰まりの状態は大きく分けて3パターンあります。
《執着》と《過信》と《試練》です。
前者二つが、己が招いてしまったこと。
後者が与えられた使命と言えるかもしれません。
仮に、今すぐ100キロの道のりを走らざるを得ないとしましょう。
その過酷で困難な状況に陥った自分自身に酔っているのが《執着》。
自分なら余裕で出来ると高をくくっていたり、
出来るはずだと思い込んでいるのが《過信》。
あるいは、ゴールの先の自宅へ帰る為に走るなら、
100キロ走は乗り越えなければならない《試練》と言えるでしょう。
本当にそんなことをやる必要があるのか?
やめた方がいいと言っても、
異口同音にやると言うはずです。
ただし、心の内は全く違う訳です。
強いて言えば、合理的な目的があって、
当事者が成す事に意味があるなら、
それはやはり《試練》なのですから、
万難を排して事に当たるしかないでしょう。
そうでない場合、つまり自分の欲求が目的になっているとき。
これは、《執着》か《過信》で、
両方とも手放すなり考えを改めた方がよいはずです。
《過信》の場合は、自覚症状が出てくるので、
自分でも対処がしやすいですね。
なぜなら、遅かれ早かれ破綻するから。
自己を過信してキャパオーバーになっている状態ですから、
疲労は蓄積するし、周りも見えなくなってくる。
そんな状況なら、失敗や挫折をするのは目に見えていますよね。
《執着》と《過信》を比べると、《過信》は状況に欲求不満を感じています。
成果を感じにくいからです。だから、自覚症状が出る。
自覚があるので対処もできるのですが、《執着》はもっと厄介です。
なぜなら、客観的にみて歪んだ状況にも関わらず、
本人は肯定的に捉えているからです。
その状況を楽しんですらいるから、
自分の行動自体がエネルギー源になっていて、
いわば自家発電状態なのです。
だから、奈落へ進んでいようとも、
自分では抜け出しにくいのです。
《執着》にせよ、《過信》や《試練》にしても、
行き詰まった状況を打破する解決の糸口は同じです。
救いの神はどこにいるかを探ればよいのです。
目的を達するためには、誰に頼めば助けてくれるか。
仕事なら、上司、部下、同僚。
誰に頼めば成果につながりやすいかという答えを
自分で把握しておくことが重要です。
あるいは、家族に相談すると好転するかもしれないし、
趣味の時間が活力を呼び込むことだってあるでしょう。
《過信》という状態なら、仕事を減らす選択だってあるでしょうし、
《執着》なら、もっと前向きになれる別の目的へと目を向けることが大切です。
行き詰まりを感じたら、自分なりの突破口を探して選択していくべきですが、
もうよく分からないという状況が即ち、行き詰まりだと言えますよね。
そんなときは、一緒に糸口を見つけていきましょう。
一文字 村雨
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