ブログ

鎌倉に残る安倍晴明伝説 北鎌倉の《清明石》

安倍晴明といえば、

平安時代に活躍した

日本屈指の陰陽師ですよね。

 

そんな彼と縁のある史跡は、

京都や大阪をはじめ

近畿地方に多いですが

 

実は鎌倉にも、

安倍清明にまつわる遺物があるのを

ご存知ですか?

 

北鎌倉は山ノ内に鎮座する

八雲神社の境内に小山があって

その傍らに、地元で

《清明石》

と呼ばれる石が祀られています。

 

 

写真では草で覆われて見えないですが

大きな敷石のような形だそうです。

 

(2023/06/14追記 大きな一枚石が清明石のようです)

 

 

 

地元では

安倍晴明が祈りを込めたものといわれ、

災難避けの力があると信じられてきたのです。

 

この《清明石》は元々別の場所にありました。

 

JR北鎌倉駅から県道を北西に200mほど

十王堂橋近くにあった十王堂跡──

今だと肉屋さんの前辺りに半分埋まっていたと言います。

この石を故意に踏めば足が悪くなり、

知らずに踏むと丈夫になるとも信じられていたそうです。

 

ところが、進駐軍が道路を直す時に

掘り起こされてしまったのですね。

 

一度別の場所に移された後

昭和44年に現在の場所に安置されました。

 

さて、

この《清明石》が移された

八雲神社はというと

 

室町時代に上杉氏が

京都・祇園の八坂神社を勧請したのが

起こりと伝わっています。

 

そもそも、

この神社が建つ場所は

鎌倉時代以降

《四角四境祭 しかくしきょうのまつり》

が行われた場所。

 

《四角四境祭》とは

疫病を祓う為、

御所の四隅や鎌倉の町境で行った

祓えの儀式のこと。

 

東は六浦、南は小坪。

西にいって稲村と、

そして北はこの山ノ内で

儀式が行われたといいます。

 

元仁元年6月には、

二代執権北条義時が死去し、

12月には義時夫人も病に倒れてしまいました。

 

幕府に凶事が続くというので、

《四角四境祭》が

今の八雲神社の場所で行われているのです。

 

つまり、

《清明石》が移されてきたのは、

元来疫病退散を願って

祓えの儀式を行う場所だったという訳ですね。

 

実は、この八雲神社以外にも

安倍晴明に纏わる石碑が

北鎌倉に2カ所あるんです。

 

北鎌倉駅前の県道を

建長寺に歩く道すがら、

目を凝らして探してみては如何でしょう?

 

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

今回の記事はいかがでしたでしょうか。

Twitterのフォローをお忘れ無く!

遠方にお住まいの方や

対面は緊張するという方は

LINE占いをお試し下さい。

随時待機しておりますので、お気軽にご相談ください。

 >  鎌倉に残る安倍晴明伝説 北鎌倉の《清明石》

ページトップへ