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《村雨》60年に一度のレアなお祭り 円覚寺の洪鐘祭

以前、けんちん汁の話で建長寺に触れましたが、

建長寺は《鎌倉五山》という序列の第一位で

鎌倉文化を代表する寺院です。

 

その建長寺と双璧をなすのが

五山第二位の《円覚寺》(えんがくじ)です。

 

正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)

といい、臨済宗円覚寺派の大本山になります。

 

 

JRで大船方面から、鎌倉へアクセスすると

まず目に留まるお寺、

といっても過言ではないでしょう。

 

北鎌倉駅の目の前に総門がそびえ、

車窓からでも参拝客で賑わう様子が、

手に取るようにわかりますからね。

 

というか、

円覚寺の境内にJRの線路を通した

と言った方が正しいわけですが。

 

北鎌倉駅で降りると、

徒歩0分で円覚寺。

 

お寺の掲示板には、

法話会や座禅会のお知らせや

SNSでの情報発信が並び

かなり開かれた雰囲気を感じます。

 

もちろん、

境内には国宝の舎利殿ほか

重要文化財など見所は多いですが

今回は国宝でもある梵鐘《洪鐘》(おおがね)を

ご紹介したいと思います。

 

なぜかというと、

60年に一度行われる洪鐘弁天大祭、通称洪鐘祭(おおがねまつり)が

円覚寺と江島神社の合同で挙行されるからです。

 

60年に一度のお祭りといえば、

江島神社と龍口明神社とで行われる

還暦巳年大祭がありますから、

特別な祭礼といえるでしょう。

 

建長寺も円覚寺も

鎌倉幕府執権の北条氏と縁の深い寺院ですが、

円覚寺は1282年に

幕府執権の北条時宗によって開山されました。

 

その目的は

国家鎮護、

禅を弘めること、

そして元寇による殉死者供養のため

と言われています。

 

国宝《洪鐘》は時宗の息子、北条貞時がその遺志を継ぎ、

二度にわたる鋳造失敗を乗り越え

成功させたものです。

 

鋳造失敗のおり、

北条貞時は江の島へ参籠し、

弁財天の啓示を受け、

1301年、やっとのことで鋳造に成功しました。

 

これを機に

江島神社より人頭蛇身の宇賀神像を勧請し、

円覚寺の鎮守としたとされ

洪鐘祭を行うようになったといいます。

 

直近の洪鐘祭はなんと去年(令和5年)で、

当分の間見ることはできませんが

当日の様子はこちらのアーカイブから視聴できるようです。

https://oogane2023.jp/livestream/

 

鎌倉の寺社の伝承では、

なにかと《江の島》が話題にのぼりますが

実は建長寺にも竜神伝説にちなんだものがあったりします。

 

ざっくりいうと

江の島帰りの駕籠かきが

極楽寺下でびしょ濡れの女を拾い、

不審に思いながらも建長寺まで送り届けると、

女は方丈の庭に消え、

大きな水煙の中から龍の姿が現れたというもの。

 

この龍は江の島とは直接関係なく、

建長寺の池の主なのですが

枕詞に江の島が出てくるのが興味深いところです。

 

それは、建長寺を開基した北条氏の祖、

初代執権北条時政が子孫繁栄を祈願しに

江の島へ参籠したことと

関係しているのかもしれません。

 

このとき、

大蛇と化した美女(弁財天)が落とした三つの鱗から

時政は北条家の旗印をミツウロコにしたと言われていますし、

江島神社、建長寺、円覚寺の紋もミツウロコなのです。

 

鎌倉の歴史を江の島から眺めてみるのも

面白いかもしれませんね。

 

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今回の記事はいかがでしたでしょうか。

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