《村雨》悲運の死を遂げた皇子を祀る 鎌倉宮(かまくらぐう)
鎌倉が舞台となった小説やドラマを挙げだしたら
多すぎてキリが無いですよね。
そのなかでも
ごく最近に限るとするなら
アニメ化された
『逃げ上手の若君』
という作品があったりします。
こちらの主人公は
北条時行(ほうじょうときゆき)といって
鎌倉幕府最後の執権、北条高時(ほうじょうたかとき)の次男。
室町幕府を翻弄した人物のひとりです。
新田義貞らの功により、
鎌倉幕府はついに滅ぼされ、
ときの執権北条高時は《腹切りやぐら》で
一族郎党自害して果てるのですが
北条時行は落ち延び、
足利高氏らに弓を引くことになります。
1335(建武2)年7月、
北条時行らは足利高氏の弟、足利直義が治める鎌倉を攻め、
一時的に鎌倉を奪還します。
この反乱は『中先代の乱』と呼ばれるのですが
この混乱の中で非業の死を遂げた人物がいます。
鎌倉宮の御祭神である
大塔宮(おおとうのみや)護良(もりなが/もりよし)親王が
その人です。
護良親王は後醍醐天皇の皇子でありながら
足利高氏らとともに討幕の前線で戦い、
鎌倉幕府打倒の立役者の功から
征夷大将軍に任じられた人物。
しかし、
足利高氏と疎み疎まれな間柄だった護良親王は
高氏の陰謀で、鎌倉二階堂の東光寺に幽閉されてしまいます。
幽閉された翌年、
『中先代の乱』が起きるのですが
そのどさくさに紛れて
鎌倉から敗走する足利直義の手によって、
殺されてしまうのです。
護良親王は28歳の若さで
無念の最後を迎えたのでした。
以前ご紹介した《葛原岡神社》
と同じく、護良親王は明治時代になって、
鎌倉宮に祀られるようになります。
とくに
明治天皇は親王への思いが深く
自ら社号を鎌倉宮と定められたといいます。
鎌倉宮といえば
新古今和歌集から選ばれた『和歌みくじ』や
花手水が雅なので
いつ訪れても癒される神社。
たとえ真冬であっても
彩りは変わりません。
一月下旬ころに見頃を迎え、
鎌倉の初春を彩る河津桜で
有名だからです。
知る人ぞしる花見スポットですから
チャンスがあったら参拝が吉ですよ。
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一文字 村雨
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