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《村雨》昔も今も変わらない?! 100年前の風水事情

前回のブログでは

100年前の風水事情について少し触れました。

 

その参考としたのが、

デ・ホロート原著 牧尾良海訳注

『風水 地霊人傑の思想』

です。

 

こちら、風水とはなんぞや

という本ではあるものの

占術の専門書ではありません。

 

著者は宗教史学者で

中国の葬儀を理解するのに

避けて通れないのが

風水思想だったようです。

 

陰陽五行説や易経などに触れてはいますが

清王朝末期、厦門周辺の

風水に纏わる悲喜こもごもが語られていて、

 

当時の(現在も大差ないかもですが)

風水を取り巻く環境や

中国人の風水への態度を垣間見られる

貴重な資料と言えます。

 

さらに、彼の興味が

隠宅に向かっていたのが重要で

例えばこんな描写があったりします。

 

ある小金持ちが大枚を叩いて

風水師に墓の地所を探して貰います。

運よく土地が見つかれば

その地主と売買の仮契約をしてから

豚の骨を埋める訳です。

 

これは実際に埋葬に適しているか、

試験をするんですね。

 

一年後に掘り起こして

骨が固く乾燥して白いままかどうかを

確かめるのです。

 

さらにそこから、

セカンドオピニオンを求める場合もあるとか。

 

そうなると、最初の風水師の決定が覆され

さらに大枚を叩くことになるのです。

 

そうこうしてる間、

死者は埋葬されずに保管されていて

当時、社会問題になっていましたが

罰則もさして効果はなかったようです。

 

それもこれも

隠宅は、死者とその子供に福をもたらすため

という金科玉条があるからです。

 

そしてその風水による福や徳は

僅かな傷でも致命傷となると理解されています。

 

例えば、別の家の為に建てた石が作用したり

墓からの視界の先に立てられた小屋などによって

いとも容易く流れが変わるのです。

 

特に、墓所の隣に新しく墓が作られると

危険視されます。

 

そうなると、

風水師を仲立ちに相手と争うことになりますが

結局モノを言うのが金やコネ。

 

役人に袖の下を渡したりしないと勝てないんですね。

その戦いに敗れてしまうと、

涙を飲んで新たな隠宅を探すことになるのです。

 

このように

祖先崇拝という括りでは

日本と中国は多くの共通点があります。

 

しかし、墓の扱いに大きく差が出ているように思います。

 

蔑ろにすると祟るというよりかは

恩恵が激減するという思想が、

中国もとい風水では顕著です。

 

墓を暴いたり龍脈を乱すと、それを行った本人ではなく

子孫へ影響するというのが興味深いですね。

 

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