《試練を乗り越える》という意識を捨てるべき理由
もし、試練を乗り越えるヒントが欲しくて
この記事に辿り着いたのなら
あなたの望むところは
ほぼ満たされているでしょう。
なぜなら、試練を試練として認識し
既に受け入れているからです。
試練というものは
受け入れた瞬間に、
為すべき殆どが成されているからです。
そうでない場合、
つまり自覚はないけれども
行き詰まりを感じて
うまくいかないという人は、
問題の所在が分からないだけに
辛いでしょう。
もしかすると、
行動によって変わることが怖いのかもしれません。
だから無意識に悩みを手放せない。
でもね、つかみ所の無い悩みに苛まれたままなんで
辛いだけ、しんどいだけです。
その悩みを受け入れることがあなたの試練なら
変化を恐れる必要はないんです。
そんなもの、
暑いからコートを脱ぐくらいの変化なんですから。
さて、悩みや試練を受け入れたなら、
自分のやるべき事を分かっているはず。
分かっているけれど
腰が重いし、めんどくさいと感じるなら
今までの自分では対処できない、
荷が重いという意識が
強いからでしょう。
身も蓋もないですが、
そのネガティブな感情も含めて
すぐやることが試練です。
試練というのは、得意分野で身構えていても
その隙間──苦手意識を突いてくるもの。
まずはその
《出来ないという思い込み》
を捨てることが重要です。
ご自身の経験上、
頼れるのは自分だけという感覚が強いのなら
誰かを頼ることで、
自意識過剰を手放すときかもしれません。
逆に他人に頼ってばかりの人は、
自分でやってみて
己の限界をしっかり把握することが
求められているかもしれません。
試練を乗り越えるというのは
解決できたという結果でなく
どのように対処したか
という過程がむしろ大事です。
ですから、
試練の克服とは
成果が得られたか否かで
判断するのは早合点です。
例えば、
喪失感を味わって立ち直れない場合。
失恋もそうだし、もっといえば亡くなってしまった場合。
失恋の場合
次の出会いを掴めたら
試練の克服と言えるけれど
死者は待っても生き返らないし、
その人の代わりはいないのです。
私がいつも思い起こすのは
ある被災者の笑顔です。
震災から少し経ってから、東北のある被災地に
年に一度で行くようになりました。
そして、とある被災者から
会うたびに震災の話を語られました。
当然、彼もかけがえのない人や物を無くした当事者です。
震災から数年くらいは
その語る表情や声が機械的で
義務感から語り部をしている印象でした。
ただ近年、変化を感じました。
彼は初めてのお子さんを授かったとのこと。
私は彼の心からの笑顔を
その時初めてみたんですね。
桟橋でお子さんの相手をしている
彼の横顔を。
試練というものの本質は
その現実を受け入れて
生涯を賭して添い遂げるべきもの
ではないかと思います。
受けた傷が大きければ大きいほど
時間を掛けて寄り添っていくべきもの──
それが試練であり、
人生の目的たりうるものであり、
すなわち使命となるのです。
だからこそ、
試練の波をひとつずつ乗り越えてきた人は
他人を受け入れられる余裕があるし、
痛みと喜びを他者へ還元できるのです。
一文字 村雨
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