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《一文字村雨》 負けるが勝ちな場合と勝負に拘るべき時の違いは しっかり区別しておくべき

学校なり、会社なり、集団生活を経験すると

何かと勝負を挑みたがるとか

勝負に拘る人、おられますよね。

 

もっと言えば、

そんな人に執拗に絡まれて勝負を挑まれたりもします。

いわゆるマウント合戦に巻き込まれた経験、

あるんじゃないでしょうか。

 

何故、勝負に拘るのか。

 

売り言葉に買い言葉。

悔しいから負けたくない。

表面的にはそんな言葉が出てきそうですね。

 

もう少し深層心理を覗き込んだら

単に構って欲しいとか

承認欲求が根底にあるだけかもしれません。

 

《勝負》というものに拘るか否かは、

当人の自由です。

 

気が済むなら拘ればいいですが、

自分の状況を見失うなら

本末転倒と言わざるを得ないでしょう。

 

『負けるが勝ち』

なんて格言がありますが

半分は正しく、

半分は間違っていると思いませんか?

 

事の発端によって、

本当にその勝負が必要か否かを

判断しなくてはならないからです。

 

《どうやっても相手に勝ちたい》

というのは、概ね感情面の問題です。

 

利害がある訳でもないことで

自分の感情が発端で争うなら、

その姿勢は改めるべきです。

 

逆に喧嘩を売られた時は、

受け流してしまう方が得策ですし、

しつこいようなら関係を断って、

距離を取ってしまうのが解決への近道です。

 

この場合は《負けるが勝ち》というか

負けても勝ったも同然ということです。

 

しかし、感情面以外で

特に利害が絡んでいるなら闘わざるを得ないでしょう。

 

世の中から裁判が無くならない理由を考えれば一目瞭然。

利を失い、害を被るとなると、

感情面のみならず、

実体的な損失も出てきますからね。

 

裁判だけでなく、己の才覚で生きていくと決めたら、

その分野では勝ち負けはあるでしょう。

なにより、勝たねば先へ進めないし

仕事が無くなってしまうかもしれませんから。

 

スポーツしかり。

プロの世界は特にそうですね。

 

遡れば、封建時代の武士団はその最たる世界かもしれません。

《一所懸命》ってやつですね。

 

寄るべき土地は一つしかない訳ですから

奪いに来るなら戦するより他は無いのです。

 

つまるところ

《譲れないものが何なのか》という話です。

 

譲れないものの為なら、勝負やむなしであって

そこには感情の入り込む余地など無いのがお分かりでしょう。

 

というか、勝負の場に感情を持ち込むとこじれてしまって、

結果に影響がでる場合が殆どです。

感情の行き場所を求めるなら、

勝負の結果に託すしかないのです。

 

しかし、

人生において不可避な勝負に勝ったところで、

それは部分的な目標達成であることを

忘れてはいけません。

 

合戦にしろ、試合にしろ、裁判でさえも

勝負自体が目的になることは

本質的にあり得ない話です。

 

なぜなら、豊かになったり、幸せになることが

本来の目的であって、

その目的を阻害する障害を排除するのが、

《勝負》という手段だからです。

 

今あなたの目の前に、

《勝負》が転がり込んできたら

目的を達成する手段が他にないかを

考えてみるべきです。

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