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《一文字村雨》 人が恋に落ちるのは 幸せになるためのエクササイズだから

こっぴどく失恋して

『もう恋なんてしない!』

なんて強がりを言ってみても

 

本心では、そんなこと言うのが

ナンセンスだと分かっていても

 

自分の意志に関係無く

いつの間にか落ちているのが

恋ってやつですよね。

 

なぜ人は恋に落ちるのか

と大上段に振りかぶるなら

本能のなせる業、

 

もう少し踏み込めば、

種の存続のためというのが

 

もっともらしいというか

身も蓋も無い答えになるかもしれません。

 

でも、そうであるなら、

子孫を残すことが目的であるなら

性欲さえあれば十分なはず。

 

じゃあ、なぜ

《恋》という感情があるのでしょう。

 

その答えのひとつは

『不合理を解消させるため』

 

これは脳科学的な側面から言われていて

つまるところ、

全人類から自分にとっての

理想のひとりを見つける不可能さを解決するため

目の前のこの人こそ!

と錯覚させて

脳を満足させる機能が即ち恋とのこと。

 

確かに合理的と言えば合理的ですが

そんな錯覚をさせてまで

恋をさせる理由ってなんでしょう?

 

気になりませんか?

 

ズバリ、それは成長を促すためですよね。

 

タロットの大アルカナには

『恋人たち』というカードがあるのはご存知でしょう。

 

このカードには

『合理的知性は感情を旅しない限り高次へ到達しえない』

というメッセージが込められています。

 

合理的知性とは成熟した愛情の一側面。

 

『愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめること』

 

星の王子さまの作者

サン=テグジュペリも言うように

精神的な成長を遂げるには

《恋》が不可欠なのです。

 

本能に訴える錯覚であったとしても、

恋とはあなたの背中を押してくれる

力そのものです。

その事実は揺るぎません。

 

恋愛の過程では紆余曲折あるでしょう。

最初の燃え上がる気持ちが嘘のように

あっけなく失恋してしまうかもしれない。

 

恋をして心が無防備になっている分

相手に拒まれたときの苦痛は

ダイレクトに心を貫きます。

 

振られたのでなくても、

自分の本心から

痛みの伴う選択を告げなくてはならない経験をすると

恋に臆病になってしまうかもしれません。

 

それでも!

 

どんなに手痛い失恋をしても

例えそれが喪失であったとしても

何度でも沸き上がってくるのが

恋というエネルギーです。

 

ひとたび恋が成就すれば、

それはあなたの成功体験となるでしょう。

成功体験の積み重ねがもたらす自己肯定感こそが

幸せへの道しるべなのです。

 

『愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ』

 

芸術家の岡本太郎が言うように、

不器用でもコミュ障でも自分に自信がなくても、

そんなものを飲み込んで

吹き飛ばしてくれるのが恋の力だとしたら

幸せになるための方法が生まれながらに備わっているってことです。

 

何度でもチャレンジする心を育むために神様がくれたギフト──

それが恋なのかもしれませんね。

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