《一文字村雨》大切なものほど失ってから気付くけれど、気付けただけまだ救いがある
大切なものを失うことくらい辛い経験は無いですよね。
自分にとってかけがえのないという認識が薄いと
手を離れてやっと気付いたりするのも、割とありがちです。
気付けたという事は、幸いです。
なぜなら、自分の価値観を再認識したからとも言えますからね。
自覚が無ければ、逆に自分を失っているという事。
なので、喪失感というのはまだ救いがあるとも言えます。
もっと言えば、失ったものをどう心で処理していくかということ自体
その人が乗り越えるべき試練なのです。
そもそも、心が閉じてしまったら、痛みを拒絶してしまったら
その場に立ち尽くすように身動きが取れなくなってしまうでしょう。
大切だったと気付くのに、それなりの時間がかかるのは避けられません。
喪失を自覚し始めてたとしても、その事実を受け入れて
傷が癒えるまでには、また長い時間が必要です。
ようやく受け入れて、いわば《時間が解決》してくれたとして
そこに至ってやっと自分に何が残っているのかという事に
考えが巡るようになるでしょう。
もし、どうしても現実を受け入れられなくて
自分にはもう何も残っていないと感じたとしても
それは大きな勘違いです。
何もかも無くなることなんてありません。
自分自身が残っているのですから。
自分がどうしたいか、どうありたいかで未来を選ぶべきなのです。
例えどうしようもなくどん底な状況でも
自暴自棄ではなく、自分の心を手放さず決めてください。
そうしたら、その決断はどうあろうとも尊重されるべきだと個人的には思います。
だからこそ、自分の気持ちを見直すためにも、
そんな時は誰かに相談すべきなのです。
大抵の場合、目の前のショッキングな出来事に心を奪われて
残されている選択肢に気付けないものですが
《救い》というのは、往々にして死角や盲点に転がっているものです。
客観的に受け入れる為にも、第三者の意見も活用してくださいね。
一文字 村雨
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